みなさん、こんにちは!
今回は、ガーナでは数少ない世界遺産に登録されている観光地を紹介します。
ここで紹介するのはヨーロッパ人との歴史的関わりを示す植民地時代の史跡、エルミナ城とケープコーストです。
この二つの世界遺産は「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」として世界遺産に登録されています。
それらは、かつての奴隷貿易の取引所であり、貯蔵所としても使用されていました。
50キロ満たない海岸地域には60の城塞群が設立されました。
この世界遺産はガーナのセントラル・リージョンいわゆる南部の海岸沿いにあります。
セントラル・リージョン地域の主要都市はケープ・コーストで首都アクラから137.2キロの距離に位置しています。
近隣には城塞をはじめ、ビーチ、森やお祭りなどがあり、観光地として発展している地域です。
エルミナ城
エルミナ城は別名セント・ジョージ城とも呼ばれています。
ヨーロッパ人がアフリカに建設した石造建築のなかで最も古い建物になります。
歴史
1471年 ポルトガル船の船長がこの地に寄港し、大量の黄金が取引されている光景に出会う。
その後、本国にその様子を報告すると、ギニア湾の町は「ア・ミナ」(鉱山の意)という名でヨーロッパの商人に広く知れ渡るようになる。
のちに、この町は「エルミナ」と呼ばれる。
そして、金が豊富に採取できることから、海岸地域一帯はゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれるようになった。
1481年 ガーナにポルトガル人が上陸。
1482年 ポルトガル人によってエルミナ城が建設。
エルミナ城は貿易品の保管、宿泊のほか、金が採れる地としての保護、欧州からの攻撃防御のために用いられる。
当時の貿易品は金、象牙が中心。
その後、スペイン人、16世紀以降はイギリス人、フランス人、オランダ人、デンマーク人が加わりヨーロッパの交易がさらに盛んとなる。
ルミナ城からみる奴隷貿易の実態
ケープ・コーストよりもおよそ200年古いエルミナ城。
入場料は少々高めですが、チケットを払うと人が集まり次第ガイドさんが一通り案内してくれます。

エルミナ城
中に入るとこんな感じ。
敷地は広くいくつもの部屋があります。

エルミナ城 牢獄
印象的なドクロマークのついたこの部屋は捕虜の牢獄です。
指示に従わない奴隷などがここに閉じ込められました。
中に入って扉を閉められるともう真っ暗闇で何も見えません。

エルミナ城 収容所
突然の襲撃で拉致をされて奴隷として捕虜になった者にクゴアノという人物がいました。
彼は、カリブ海のグレナダ島に運ばれ、2年の労働を強いられます。
しかし彼には転機がおとずれ、農園経営者に気に入られたことでプランテーション業を引退します。
1773年には洗礼を受け、その後教育を受けることになります。
1787年には奴隷貿易の廃止を求めて活動し、『思惟と所感』を出版しました。
彼は著作の中で城塞に監禁されたときの様子をこのように伝えています。
多くの捕虜たちの鳴き声とうめき声を聞きながら数夜を過ごした。
運搬船に運ばれるとき、「鎖が引きずられる音、ムチが空を切る音、そして捕虜とされた同胞たちの泣き叫ぶ声しか聞こえず、もっとも恐怖を感じた。」
この書籍は彼自身の経験を詳しく記し、さらに非人道的な奴隷制度の違法性をクリスチャンの観点から厳しく批判しています。
彼の著作は当時のイギリス会社に奴隷貿易の悲惨さを広く伝えるとともに、奴隷貿易廃止の流れを作るのに重要な役割を果たしています。
それから20年後、イギリス議会は奴隷貿易廃止法案を可決しました。
エルミナ城の上階にはヨーロッパ人の執務室兼居住地があります。
当時、黄熱病やマラリアなどが蔓延する西アフリカはヨーロッパ人にとって簡単に生活できる地ではありませんでした。
実際に駐在していた商人は数名で、彼らも病気にかかることを恐れて城塞に引きこもっていることが多かったといいます。
そのため、奴隷の捕獲には現地の協力がありました。

エルミナ城2階の部屋
みなさん、奴隷というと、肌の黒い人たちは皆だれもがヨーロッパ人の奴隷になったと思っていませんか?
実はそうではないんです。
当時、この国はさまざまな小国家が覇権争いをする、いわば戦国時代のような状態でした。
厳しい状況下に置かれた小国家にとって、ヨーロッパ人のもたらす銃や鉄製品は自分の領土を守るために欠かせませんでした。
そこで、彼らがヨーロッパ人の求める商品である奴隷を売ることで、武器を手に入れることができました。
海岸地域で奴隷貿易が活発化するにともない、現地の紛争も激化していきます。
あらたな捕虜を求めて内陸部にまで取引のネットワークは広がっていきました。
そして、多くの人々が突然の襲撃で捕らえられ、取引所を経由して海岸地域の城塞に連れてこられたのです。
先ほど紹介したグゴアノもその一人です。
彼は13歳のころ、野原で友達と遊んでいたときに突然ピストルと剣をもった「違う言葉を話す男たち」から襲撃を受けたと言います。

エルミナ城から見えるギニア湾
エルミナ城の上階からは美しいギニア湾が大望できます。
美しい海のこの場から大量の奴隷が4~8週間かけて新大陸に運ばれていたなんて、今ではとても考えられません。
このような地で飢えや病気、暗闇に苦しめられた奴隷と、美しい景色を眺めて生活していた上流階級者が共存して暮らしてたことを考えると胸が痛みます。
基本情報
開館時間09:00~16:30
定休日:なし
外国人入場料:10USドル、50セディ(約1250円)*ガイド付き 学割あり
所要時間:30分~1時間
ケープ・コースト

ケープ・コースト
19世紀、植民地時代に多くの奴隷がカリブ海やアメリカ大陸に送りだされた拠点となった地です。
ここケープ・コーストは保存状態がよく、現在は奴隷貿易の公立博物館となっています。
歴史
1555年 ポルトガル人が金や木材等の貿易の拠点としてロッジを建てる。
1630年 オランダ人によって再建される。のちにスウェーデンの手に渡る。
1664年 イギリスの所有になる。
1877年 首都がケープ・コーストからアクラに移るまで英国植民地政府として使用される。
1957年 クワメ・エンクルマによってアフリカ以南の国で最初の独立を果たし、ガーナの管理下となる。
ケープ・コーストから知る奴隷制度の実態
では、ゴールド・コーストの中を覗いてみましょう。

ケープ・コースト収容所
こちらがかつて奴隷が収容されていた場所です。
中は真っ暗。明かりは左にみえる小さな穴からのひかりのみです。

奴隷収容所
マリやコートジボアールなどの近隣諸国から歩いてきた者も含め、多くの奴隷がこの中に2週間から数が月間に渡り閉じ込められました。
手を洗うこともできなければ、トイレもありません。
人口密度がパンパンな中、トイレは垂れ流し、一日2食のパンと汚い水を渡され、凄まじい環境で船の出航を待たなければなりませんでした。

水汲み場
写真は水をくみ上げるところです。
奴隷の管理者であるイギリス人らは水を沸騰させてから飲むのに対し、奴隷にはそのままあげていたようです。
不衛生な水や収容所に入り込む蚊などによって病気で亡くなる人も大勢いました。
明るくて素敵なガイドさん。チケットを買うとガイドさんが一通り城内を案内してくれます。
あまり英語が得意ではない私でもなんとか理解できる分かりやすい英語で説明してくれました。

拘置所
奴隷の拘置所は男女分かれています。
こちらは男性用で”MALE SLAVE DUNGEON ”と書かれています。

地下道
ここは奴隷が船乗り場まであるく道です。
まるで真っ暗な迷路の地下トンネルのようになっています。
奴隷管理の英国人スパイらは「進め進め!」と銃を持ち怒鳴りながら奴隷が進んでいることを上から視察します。

最後の門
運搬船の出航を迎えた奴隷は皆この門を通り抜けます。
扉には"DOOR OF NO RETUREN"と書かれています。
これは「一度ここをでたら、もう二度と戻ってくることはない」ということを意味しています。

ギニア湾の漁師たち
あの扉を開くと海が広がっています。
現在は地元の漁師たちの生活風景を観ることができます。
奴隷貿易当時は沖合に運搬船が到着すると、奴隷は海岸からカヌーで運ばれ、運搬船に詰め込まれました。
西・中部アフリカで取引された奴隷総数約1000万人のうち、ガーナの海岸地域からはおよそ70~80万人もの人々が輸出されたと言われています。
しかし、その数は港から国外へ運ばれた人の数であり、それまでに亡くなった人も含めると考えられないほどの数の人々が犠牲になっています。
オバマ前アメリカ大統領も訪れた⁈

オバマ大統領夫妻訪問記念
2009年7月10日にバラク・オバマ元アメリカ大統領がご家族と一緒にガーナの首都アクラを訪問しました。
これは大統領就任後初のサハラ以南の訪問でした。
ガーナを選んだ理由として「平和的政権交代を実現した民主主義の見本の国」だと語っています。
初のアフリカ系アメリカ大統領オバマ氏を見ようと当時アクラ市街地には数千人が集まりました。
翌日にはオバマ氏はご家族とともに、かつて奴隷貿易の拠点となったケープ・コーストを訪問されました。
オバマ氏はすべてのアフリカ系移民の人々にはここがメッカだと思って人生で一度は訪れることを推奨しています。
基本情報
開館時間:09:00~17:00
定休日:月曜日
外国人入場料:7USドル、40セディ(約1000円)*学割あり
所要時間:30分~1時間
まとめ
いかがでしたか。
今回はガーナで外せない世界遺産の観光地、ケープ・コーストとエルミナ城から奴隷貿易の悲惨さをお伝えしました。
どちらも負の世界遺産で壮絶な歴史的過去をもっています。
人類が人類に施した過去の過ちを歴史から学び、人権について考える良い機会になることは間違いありません。
ガーナに訪れる機会にはぜひエルミナ城と合わせて、ケープ・コーストに立ち寄ってみてください。
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